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私が日本語教師になるまでのストーリー

【はじめに】

留学生に日本語を教える面白さや、
どうやってこの道に進むことにしたのか?
ある企画で、自分の仕事を紹介する記事を
書きました。

3年生から大人の方を対象に書いたのですが、
一部、加筆修正し、こちらに転記しました。

これから仕事を探している人のヒントになったら嬉しいです。

【日本語の先生になろうと思ったきっかけ】

👦 「大きくなったらどんな仕事をしたい?」

誰でも小さい時に、こう聞かれたことがあるのではないでしょうか。
でも、私が小さい時(昭和のおわりごろ)は、こんなふうに言われていました。

👦「大きくなったら、どんな仕事をするの?お嫁さんかな?」

つまり「結婚して家庭にはいりますか?」
という意味でした。

私は、はずかしがりやだったので、
何も言えませんでした。
でも、心の中で

👧  お嫁さんは「仕事」とは言わないんじゃないかな?
👧 私は「仕事」をして、お金をたくさんかせぐんだ!

と思っていました。
当時、そう強く思っていた女の子は
珍しかったかもしれません。

というのは、父と母が、節約家だったので、
自由に買いものができなかったからです。

私は、おもちゃも
ほとんど持っていなかったし、
誕生日プレゼントももらえませんでした。

ここでクイズ😆】
なんで、私にはたんじょう日プレゼントがなかったのでしょうか?
(ちなみに妹にはありました)

こたえ🍰】
それは、私のたんじょうび日が、
おとし玉をもらう次の日=クリスマスプレゼントをもらう日の
1週間あとだったからなのです

(母が、そう説明していました😭😭😭)

こんな悲しいことはない。
私は自分の力で、お金をかせいで
ほしいものを買うぞ!

と強く強く思いました🔥

【どんな勉強をしてきた?】

私は「しごと」をして
お金をたくさんかせぐんだ!

と小さいころに決めたものの
「どんな仕事ができるか、やりたいか」
はずっと見つかりませんでした。

高校生のころ、
いくつか「やりたい!」と思ったものが
見つかりました。

そのうちの1つが日本語教師
でした。

ところで、私が18才だった当時
子どもの数は、いまよりずっと多くて
大学に入ることがむずかしい時代
でした😭

いくつか大学を受けて
運よく受かったのが
「日本語と日本文学(当時は国語国文学)」
について学べる大学
でした。

大学に入ってからは、
通信教育でも勉強をして、
外国人に日本語を教える先生の資格の
「日本語教育能力検定」をとりました。

くわえて「中学校と高校の国語」と、
ついでに「高校の書道」の先生の資格もとりました。

【どうやって仕事をはじめた?】

①【はじめての教える仕事:家庭教師20才】

私がはじめて教える仕事をしたのは、
大学2年生のときでした。

家庭教師のアルバイトをたのまれて、
日本人の中3の女の子に
数学と理科をおしえました。

その子は勉強が苦手な子でした。

私と相性がピッタリあったのか、
とても短い時間で
成績がぐんと伸びました

そうしたら、その子のお母さんも、
その子も、とってもとっても喜んでくれたんです😭😭✨✨

その女の子は、先生から返されたテストをながめて、

👧こんな成績をとれたなんて
ゆめみたいで信じられない…

と言っていたときの
うれしそうな顔を、今でもおぼえています☺️
(テストは平均点を少し超えていました)

その時から
「私は先生の仕事は向いているのかもしれない…」
と何となく思いはじめました。

②【初めての日本語教師の仕事 22才】

いま、仕事をさがすには、
普通インターネットを使うと思います。

【クイズ】
インターネットがない時代には
どうやって仕事をさがしていたと思いますか?

大学卒業前
私はあちこちの日本語学校に電話をかけて
自分を売りこみました。

そして、ある日本語学校で
働くことがきまりました✌️

③【海外で働く:25〜27才】

東京の日本語学校で3年働いたあと
青年海外協力隊に入って
2年間、中国の大学で日本語をおしえました。

👧 私も、教え子の留学生のように、
海外で生活してみたい!

👧 留学するよりも、外国で仕事をして、
その国の人たちや、社会と深く関わりたい!

と思っていたからです。そのとき、私は25才。

年がほとんど変わらない中国の学生さんたちが
「先生大好き〜😍」とよく家に遊びにきてくれました

いっしょにレストランやカラオケに遊びに行ったりもしました。

中国人の日本語の先生たちも、
私にとてもやさしくしてくれました。

家に招待してくれて、
テーブルいっぱいにならぶ料理を作ってくれました。

そして、なにより中国人の先生たちと
日本語について、一緒に勉強や研究や
ディスカッションをすることが
とても楽しかった
です。

④ 【日本の大学院へ 28才〜33才】

中国で働いている時
私は自分について、こう思っていました

👧 私はまだ25歳で、教えた経験も少ないし
知識だって、ぜんぜん足りない。

日本に帰ってすぐに、試験をうけ、
大学院に入りました。

大学院には2つの理由でテスト勉強を
ほとんどしないで受かりました

1️⃣卒業論文が雑誌にのっていた
2️⃣外国語の試験を中国語で受けられた

大学生の時は、とても一生懸命勉強したり
論文を書いていたし、
中国語も長年たくさん勉強していました。

この経験から

✅その時その時で、一生懸命がんばっていれば、
あとでそれを生かせることがある

ということを学びました。

大学院では、

日本語の教材・教科書の作り方
上手な授業の方法
日本語の研究方法

などを勉強しました。

【この仕事で楽しいこと】

私は、日本語を教える仕事が大好きです。
たぶん、遊ぶことより、仕事をするほうが好き!
っていうレベルで好きです。

✅ 学生さんとおしゃべりしてるみたいで楽しいし
✅ 学生がどんどん日本語が上手くなっていくのが目に見えるし

✅ 「先生の授業がとても楽しかった」って言ってもらえたり
✅ 外国のリアルなニュースを今すぐに教えてもらえたり

✅ 自分とちがう考えも知れるし
✅ 楽しい話だけじゃなくて、むずかしい議論(ぎろん)もできるし

✅ たまに、国と国が小さなケンカをしていたり、
大きな戦争(せんそう)をしている時もある。
それでも私たちは、いろんな国の人が同じ教室で
日本語で、おたがいを大切に思いながらをことばを交わしている

こんな場所にいられることが、毎日、しあわせだなって思います。

【この仕事で大変だったこと】

先生の仕事は、いつも体と心を元気にしておくことが
大切だと思っています。

✅ 仕話す仕事なので「のど」を大切にしています。
夏休み以外は、カラオケにはいきません。

✅ 学生のなまりのある発音でも
ちゃんと分かってあげられるように
「耳」も大切にしています。
  ライブに行く時は「耳せん」を持っていきます

✅ たとえばペットが天国へいったとか、
そんなとても悲しい日でも、
気持ちをきりかえて楽しく授業をします。

そうすると、すごく悲しくても
授業がおわるころには
学生さんから元気をもらえるのか
悲しさが少なくなっています。

【この仕事をめざしている人へメッセージ】

👧 私は「しごと」をして お金をたくさんかせぐんだ!

と私は子どもの時に決めました。

でも、あれ??まって💦
先生の仕事って、

✅がんばって働けば働くほど、お金がかせげる仕事

ではないんですね…
いつの間にか、お金をかせぐことより、

✅ 自分が社会に何ができるか

✅ 何をして毎日すごしたいか

つまり自己実現が一番大切になっていました。

私には、日本語の先生の仕事が
合っているんだとおもいます。

きっとどんな人にも、
自分にぴったりの仕事がどこかにあると思います。

そこに向かって進んでいってくださいね!

これから仕事をさがす皆さんのことを
私は、心から、応援しています⭐️

ABOUT ME
とんとん
東京と神奈川の大学で留学生に日本語を教えています。日本語教材を作るのが好きです。 経歴:中国の大学、大学院(青年海外協力隊)、元日本語能力試験作題委員(聴解) 博士(日本語・日本文学)

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