自己紹介① 高校時代〜日本語教育能力検定に合格するまで
私は大学を卒業してから、日本語教師の仕事をずっと続けています。
そのような人は割と少ないかと思いますが、今までの日本語教師人生は決して順風満帆だったわけではなく、むしろ、山あり谷ありでした。
雑記として、私が日本語教師になるまで、なった後のストーリーを数回に分けて書いていきたいと思います。
どなたかのご参考になれば幸いです。
1−1 高校から大学受験まで
実は、日本語教師は第一希望の仕事ではありませんでした。
本当は大学の心理学の先生になりたかったのです。
高校生の頃、心理学の本が好きすぎて、近所の図書館の開架にあるものは全て読んでしまったぐらいです😄
高校生、大学生の当時、ハマってよく読んでいた心理学者の河合隼雄先生の本はこちら。
神話と日本人の心〈〈物語と日本人の心〉コレクションIII〉 (岩波現代文庫) 文庫 – 2016/10/19
当時、心理学ブームと言われる時代で、それに加えて、団塊ジュニアの人数がピークの年に生まれたせいか、第一希望の心理学科の倍率は、自宅から通学可能な都内の大学はどこも40数倍程ありました。
一生懸命勉強したのですが、希望学部に合格することができず、国語国文学(今は日本語日本文学科と呼ばれるようになりました)を専攻し、第二希望の仕事であった日本語教師を目指すことにしました。
1−2 大学学部時代の話
大学の学部は「国語国文学(現在の日本語日本文学)」で、①文学系の科目、②語学系の科目、の2つに分かれていました。
日本語教師になるには、文学系ではなく、日本語学系の科目を選択した方が(日本語教育能力検定対策としては)役に立つのですが、教員免許(中学国語、高校国語、高校書道)の科目を多く取っていたため、空いている時間が少なく、語学系の科目をあまり選べませんでした。
それに加え、私は心理学の勉強を諦めきれず、心理学的を絡めた文学の卒論を書こうと思いました。
(実は、この卒論は、日本語教師になるときに、とても有利に働くのですが詳しくは続きのブログで!)
1− 3 日本語教育能力検定試験は独学で
大学の科目としては、1コマだけしか基礎的な日本語学のクラスを取っていませんでした。それは日本語教育能力試験を受けるときに大きな助けになりましたが、もちろん1コマだけですので、私の知識は教育能力検定試験合格には、全然足りなかったです。
日本語能力試験は当時、20歳以上ならないと受験資格が得られませんでした。そのため、大学4年の時に、受験することにしました。
就職活動を全くせずに、そして、日本語教育能力試験にまだ合格もしていないのに、日本語教師になることを決めました。
当時、日本語教育能力試験の合格率は、約19パーセントでした。
英検2級の合格率と同じぐらいだから、本気で頑張れば受かるかな?と思いました😄
教材はアルクの通信教育 NAFL日本語教師養成プログラム で学びました。
1ヶ月に1回、2種類のレポート課題を出していました。大学の卒論と一緒に進めるのはそれなりに大変でしたが、楽しかった思い出があります。
現場の実践も積みたいと思ったので、市が行っていた「日本語教師ボランティア養成講座」というものに週1×3ヶ月通って教え方も習っていました。無料だったのですが、日本語のテキストを執筆された高柳和子先生などもいらっしゃって、かなり学びの多い講座でした。
テキストはこちらを使っていました。懐かしいです〜
試験は当時、青山学院大学の青山キャンパスで1月初旬に行われていました。
(その20数年後にこのキャンパスで留学生に日本語を教えることになりますが、その話はまた別の回で…😄)
なんとか無事に合格して、日本語教員の資格をとった時には大学4年の3月になっていました。
つづく。