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−25度の町で出会った靴磨きのおじさん

日本語教師のとんとん🐰です。

寒くなると思い出すことがあります。2001年、中国長春の医大で働いていた時に、職場へ行く途中、靴磨き屋さんに寄ったことです。

靴磨きをしてもらったのは、その時が最初で最後でしたが、それが特別な経験であったのは、−25度の野外でのことだったからです。

周りをビニールで囲んだだけの小さな店を道端で営業して、そこで次々に靴磨きをしていたおじさんがいました。私は、一度、靴を磨いてもらう体験したいと思っていたところだったので、磨いてもらうことにしました。

−25度の中で歩くには、何枚も重ね着をしなければなりません。たとえば、トップス(上半身)だけでなく、ボトムス(下半身)も何枚も重ね着をしていました。綿を着て、ウールを重ねて、また綿をきて(違う素材にすると、熱が逃げにくい)、そして最後に綿入れや羽毛のズボンを履く、といったように。

とても寒かったので毛糸ではなく、毛皮の手袋を使っていました。毛皮に加え、内側はモフモフのワタがついていました。しかも5本指手袋だと指がバラバラに分かれて寒いので、親指だけしか分かれていない手袋を使っていました。大袈裟ではなく、油断すると凍傷になったり、ちょっとその辺で倒れたりしたら、そのまま凍死してしまったりするのです。

それなのに、その靴磨きのおじさんは、なんと手袋をしていませんでした。真面目な顔で、真っ黒な手で丁寧に靴を磨いてくれました。私が履いていた日本製の革靴はピカピカになりました。

とても丁寧に磨いてくれて、料金は3元でした。

3元というのは、日本円で考えるとたった42円(当時)。中国人からみても安かったと思います。なにせペットボトルの水の値段がそれぐらいでしたから。

私は5元札を出して

「どうもありがとう。おつりはいいです。」

と言いました。

靴みがきのおじさんはとってもびっくりした顔をして

「ありがとう」

と言ってくれました。

その時も、いつもと同様に中国人のように振る舞いました。日本人だと思われないように。当時、外国人は珍しく、目立ちたくなかったのです。幸い、いつも中国人大学生に見られていました。年齢は20代半ばだったのですけれど…

その後、中国は経済発展をして、生活水準は飛躍的に向上しました。あのおじさんは今どんな生活をしているんだろう。あの時よりいい生活をしているといいなと思います。

あの時、5元でなく、10元してあげていればよかったかな、と今でも思います。でも、10元というのは多すぎて不自然なのかも、と思い直したりもします。

 

 

 

 

とんとん先生
とんとん先生
冬になると、以前住んでいたハルビンと長春のことをよく思い出すよ。1番寒い時でマイナス38度も経験したことがあるんだ。すごい寒いから、普通は冷凍庫に入れるものも、道端で売ることができる。上の段ボールに何が入っているか、当ててみて!

 

ABOUT ME
とんとん
東京と神奈川の大学で留学生に日本語を教えています。日本語教材を作るのが好きです。 経歴:中国の大学、大学院(青年海外協力隊)、元日本語能力試験作題委員(聴解) 博士(日本語・日本文学)

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